《荒野に、たった1人きり》

荒野とは、一言では語りつくせない可能性のある世界のことをさします。野望を燃やす者だけがこの過酷な荒野で夢に挑むことができる。あなたも荒野のハテの景色を見ませんか?

ガッタイ!!→そして進化する。

お久しぶりどす。


ライジングヨースケです✨


やはり、充実した毎日です。

テストやレポートの作成、学外活動等

懸命に頑張りました(笑)

今、カフェにいます。

超絶リラックスしてます(笑)


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さて、みなさんに質問です。


ゲーム等の「遊び」と
勉強の「学び」をどうとらえますか?


こう聞かれると「やれやれ…要するに勉強しろってことが言いたいんだろ?」と想像するとおもいますが、そんなことは言いません。


もちろん、勉強をして知識をつけることは大事です。


ただ、その勉強が苦痛であれば
やる意味はないです。

ぼくは楽しく遊びながら学ぶのが勉強だとおもっています。


本来、「勉強」と「遊び」は相反するものです。

例えば、「勉強を一時間やったら
ゲームを一時間やろう」といったように

同時にやるものではないですよね?

もし、勉強とゲームを同時にやっていたら
勉強の内容がしっかり入りませんよね。


そのゲームから学べる要素があれば話は別ですが…(笑)

ほとんどの場合、遊びに入ると思います。


という相反する2つですが、では


学び」と「遊び」を融合させたらどうでしょうか。

こういうものこそ世の中に必要とされているとぼくは思います。


もともと、勉強とはなにかを考えたときに

勉学を通して自分が強くなる(成長できる)ようにならなくてはいけないものです。


勉学を先生に強いられている時点で、それは勉強ではない。ただの拷問に近いとぼくは思います。


「勉強」というかたくるしい感じのものはすてて「遊び」と融合させたおもしろい授業や環境がたくさんあったらいいなと思います。


それを環境変化の基調として、小学校の授業から是非とりいれてほしいな(笑)


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最後まとめですが、

「勉強」だけがすべてではありません。

これは日本の教育が悪いのですが、「勉強」

だけじゃわからないこともあります。

日本人は真面目だとよくいわれますが

ぼくは視野がせまいだけだとおもいます。


「遊び」と「学び」の融合こそが今の学校教育

に必要な授業だとぼくは思います。



以上です。

わからにくいところもあるとは思いますが最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

また次回
お会いしましょう✨